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私は私。

アディッシュ取締役 杉之原明子のブログです。

交通事故にあったと思え、忘れろ

 
だいぶん前に、「しなやかさの作り方〜らしく生きる女性たちのストーリー〜」というイベントに参加した。

 
質疑応答の時間で、この質問をした。
Q: 何かを成し遂げるうえで感じる恐怖との向き合い方は?

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この頃、私は、自分の中の恐れをなんとかしようとしていた。
 
私は、人から「役に立たない」と思われることに、恐怖を感じているようだ。
 
何が原体験かもそろそろ自覚していて、もはや過去からずっと醸成されてきたものであるから、なかなか、これを乗り越えることができない。
 
なにかネガティブな事象が起きると、神はこのタイミングで私に何を云わんとしているのか、また同じことを起こさないためにどうしたもんか、と、なんとかして意味付けし、認知をポジティブに歪ませて、それを受け入れようとする。
 
PDCAが回るものであれば全く問題ないのだが、思考が止まるほどの怒りや悲しみにもすべて、この認知を続けている自分になんだか疲れていた。
 
 
イベントレポートには記載されていないので詳しくは書かないが、印象に残ったエピソードがある。
 
会議中にあまりに理不尽なことを言われ、男性社員と殴りかかる勢いのケンカをした。
そのまま会議は終わり、やり場のない怒りに加え、自分も終わった…と悶々としていたところに、
 
「交通事故にあったと思え。この件は忘れろ。」
 
 
そう上司が言ってくれたと言う。
 
この言葉のおかげで、誰かや自分を必要以上に責めたり、変に行動して事を悪化させることもなく済んだと。
 
救われたと。
 
 
ふと、何かから解放されたような気持ちになった。
 
今、何から何まで意味付けをしまくって消化しようとしなくても、中には、一旦忘れるという選択肢もあるよと。
 
きっと何年も後からその意味が分かることもあるのだろう。