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私は私。

アディッシュ取締役 杉之原明子のブログです。

リーダーじゃないからビジョナリーじゃなかった頃の話

 
ビジョナリーな人っていうのが特別にいて、そういう人がリーダーなのだと思っていた。事業プレゼンをしているような人は、きっと何かどこかからビジョンが降りてきた人に違いない。
 
私はやりたいことも特にないし、つまりビジョナリーじゃないから、リーダーに向いていないと思っていた。私は、ビジョナリーという言葉を理解しきれず、勝手に縛られて逃げていた。
 
 
そして気づいた。
 
リーダーじゃないからビジョナリーじゃなかったということに。f:id:adish_HRdelight:20160209112504j:plain
 
リーダーになった瞬間、「この施策のゴールは何ですか?」「何を目指しているんですか?」「今の目標を達成したとして、3年後はどうなってますか?」「どういうチームにしたいですか?」が直撃する。自分ごととする範囲が広がったり、立ち上げフェーズだったり、チームが拡大しても縮小しても、売上が上がっても下がっても、あらゆるシーンで問われる。
 
正直、そんなの知らない。分からない。メンバーが1名だとしてもリーダーはリーダー。リーダーになって、自分ごととする範囲が広がって始めて必死に考える。ここから始まるのだ。
 
 
ありたい姿は一人でつくる必要はない、みんなで考えればいい
 
働き始めたとき、「杉之原さんがやりたいことは?」と問われる度、「特にありません」「分かりません」「うーん」と煮え切らないかんじで答え続けた。今思えば、分からなかったのではない。単に考えていなかったのだ。
 
少し時間が経つと、目の前のことに対してはやりたいことが生まれてきたが、事業の数年後を問われるとやはりフリーズしていた。こんな自分とも決別しなければいけないときが迫っていた。
 
そんな折、当時の上司と一緒に「未来会議」という会議を企画した。部署問わず、職能も役職も問わず、会社全体から20名ほどのメンバーに集まってもらい、業界の未来について議論をした。未来会議が終わった後、事業のありたい姿をバージョンアップし、私は、それを信じて事業リーダーとして2年間走ることができた。
 
何がしたいかなんて、この先どうなるかなんて、誰も分からない。ビジョンなんてものは、たいていは降りてこない。降りてこないならば、降ろしてくるのだ。1人がダメならみんなでやればいい。
 
リーダーはビジョナリーであるべきだ、だからビジョナリーにならなければいけないという呪縛から解かれ、不思議と肩の力が抜けた。今では、ビジョナリーという言葉を使うことはない。アディッシュでは「ありたい姿」と表現している。
 
 
ありたい姿を考える練習をする
 
アディッシュで定義している『事業タスク』の一節にもあるが、「世の中を俯瞰すること」「ありたい姿を考えること」。目の前のことだけ考えていても事業は潰れないかもしれない。世の中など俯瞰しなくても生きていけるかもしれない。
 
一方、当たり前だが、自分ごととする範囲が広がれば広がるほど、ありたい姿を問われる範囲も広がる。タスクという目の前視点から、新規視点、チーム視点、拠点視点、事業視点、会社視点へ。
  
私は、自分ごととする範囲が広がるにつれて、本を読むこと、勉強すること、新たな領域に挑戦することがさらに好きになった。もう、大好きだ。触れた情報、人から聞いた話や自分が体感したことが、ある日、「こうなったらいいな」「こうしたいな」と頭の中でつながってくる。まさに降りてくる。
 
「前向きな妄想」と例えたメンバーもいて、言い得ていると思う。ありたい姿を考えること、これは練習だ。決して、特別な人がやることではない。
 
 
ありたい姿を表現する
 
ありたい姿を考えたら、何かしら、何としてでも表現する。チームに、事業部に、世の中に伝えるというステップが待っているからだ。そこから、新たな事業タスクが始まるのだ。
 
今年書店に並んでいる『「言葉にできる」は武器になる。』の帯にある一節がぐっときた。
「言葉にできない」ことは、「考えていない」ことと同じである 
 
表現をした後のプロセスも好きだ。口に出すことで様々な質問や意見をもらい、ありたい姿をさらに考える。言葉選びにこだわり、表現を研ぎ澄ましていく。ありたい姿がどんどん強固なものになっていく。人に伝播していく。