ただの愚痴、言うべからず
合宿では、“ガイアックスism”なるものについて丸1日ディスカッションを行い、翌日は全員で地引網をするというなんとも謎な構成だったが、社会人って想像してたよりアツいんじゃないの!?とすごく嬉しい発見だった。
コンテンツの中に、ガイアックスパズルの作成時間があり、私もその一片を書かせてもらえることになった。
ガイアックスグループの受付を5年間ほど飾っていた、これですね。 

ここに私が書いたのが、「愚痴を言わない」だった。
これ。 

ポップなパズルのデザインに似つかわしくないこの言葉を書いたのは、私なりの覚悟を表現したものだったことを覚えている。
人生で一番の挫折を経験(当時)したところをガイアックスという縁に巡りあい、インターンを始めて1カ月、これと言って何が出来たわけではないけど、とにかくこのインターン期間を私は頑張るんだ、と意気込んでいた。(後に弱音を吐きまくることになるが…)
愚痴には2種類ある。
『前向きな愚痴』と『ただの愚痴』だ。
私は圧倒的に前者が好きだし、圧倒的に後者が嫌いだ。
『前向きな愚痴』には解決に向けて動こうとする意思がある。時にはそれを一緒に話していたメンバーの力を借りて動き出す。
『ただの愚痴』とは恐ろしいもので、何も生み出さず延々と話が続き、しかも、それを言えば言うほど自分の株を下げる。
すべてを『前向きな愚痴』にすると息がつまることも事実だ。たまには『ただの愚痴』もいい。ただ、そのときに「あー、私、今、ただの愚痴をただ言ってるわー」と自分を見れているようにしていたい。
愚痴を言うならそれを変える動きをする。
行動しないなら愚痴は言わない。
パズルを見る度、自分の初心『愚痴を言わない』に回帰する。