交通事故にあったと思え、忘れろ
だいぶん前に、「しなやかさの作り方〜らしく生きる女性たちのストーリー〜」というイベントに参加した。
質疑応答の時間で、この質問をした。
Q: 何かを成し遂げるうえで感じる恐怖との向き合い方は?
この頃、私は、自分の中の恐れをなんとかしようとしていた。
私は、人から「役に立たない」と思われることに、恐怖を感じているようだ。
何が原体験かもそろそろ自覚していて、もはや過去からずっと醸成されてきたものであるから、なかなか、これを乗り越えることができない。
なにかネガティブな事象が起きると、神はこのタイミングで私に何を云わんとしているのか、また同じことを起こさないためにどうしたもんか、と、なんとかして意味付けし、認知をポジティブに歪ませて、それを受け入れようとする。
PDCAが回るものであれば全く問題ないのだが、思考が止まるほどの怒りや悲しみにもすべて、この認知を続けている自分になんだか疲れていた。
イベントレポートには記載されていないので詳しくは書かないが、印象に残ったエピソードがある。
会議中にあまりに理不尽なことを言われ、男性社員と殴りかかる勢いのケンカをした。
そのまま会議は終わり、やり場のない怒りに加え、自分も終わった…と悶々としていたところに、
「交通事故にあったと思え。この件は忘れろ。」
そう上司が言ってくれたと言う。
この言葉のおかげで、誰かや自分を必要以上に責めたり、変に行動して事を悪化させることもなく済んだと。
救われたと。
ふと、何かから解放されたような気持ちになった。
今、何から何まで意味付けをしまくって消化しようとしなくても、中には、一旦忘れるという選択肢もあるよと。