安易な『すべき』とさようなら
クチグセはときに厄介だ。特に、自分も気がついていないクチグセ。
あの頃の私は、『すべき』病にかかっていた。

- 会社はこうあるべきで、
- 上司はこうすべきで、
- 〇〇は~~であるべきだから、〇〇は~~すべきってかんじ
私が使う『すべき』が厄介だったのは、自分に矢印を向けた使い方をしていかなったことだ。組織や人に対して連発。決して提案や行動を伴う『すべき』ではなく、自分の未熟なモノサシで物事を測り、勝手に『すべき』まで昇華させ、どこか上からなかんじで『すべき』を繰り出しまくっていたのだ。
人に言われて初めて自分のクチグセに気づき、そして結構落ち込んだ。それ以降、安易な『すべき』を封印している。
- 私はこういうチームがよくて、
- だから人としてこうありたくて、
- 〇〇は~~な状態にしたいから、こういう動きをしようと決めた
『すべき』は、私自身もこう動くべき、と自分事として使いたい言葉。